昨日はアネット・メサジェの個展を体験しに森美術館へ。きっかけはこの作品。
かっ、かわいすぎる、、、(*≧m≦*) ほかにも剥製やぬいぐるみを使った作品が多く、なんかこれはわたしを呼ぶものがある。いかなくてはっ!、、、とけっこう軽い気持ちで赴いたのが、実際、いろんな意味で衝撃を受ける。
「彼らと私たち、私たちと彼ら」。まずは導入としてこの作品が。剥製の鳥や小動物がぬいぐるみの頭をかぶって集まっている。足元には鏡。よく見ようと見上げると、そこに映る自分の顔を通して作品を見ることになる。沢山集まっているのは何かを相談するために集会を開いているのであり、ぬいぐるみの頭はお互いの顔が知られないための仮面。「あなたがたも会議の際にはいろいろな事情から仮面をかぶっていることがあるでしょう?」とメサジェは言う。深い。
その次には薄暗い小部屋に冒頭の小鳥3部作が(「写真は「寄宿者たちー休息」)。寄宿舎のベッドに見立てた鉄棒に縛り付けられた小鳥の剥製が規則正しく並んでいたり、歩行訓練のため車にしばりつけられたり、と思えば冒頭写真のように、あたたかでやわらかな服を着せてもらい慈しまれていたり。これは愛おしむ反面、言うことをきかなければおしおきをするという親の複雑な二面性と、小さく弱いものを世話しようという慈しみと、生き物を思い通りに束縛しようとする人間の身勝手さ表現しているとか。深い。
「つながったり分かれたり」。狂牛病のニュースを見たことが、動物と人間の関係を問いかけるこの作品をつくるきっかけとなったとの事。一見グロテスクだけど、ぬいぐるみ状のためダイレクトな不快感を感じない。これがメサジェの手法なんだと思う。扱っているテーマや表現内容はかなりグロテスクなんだけど、素材がそれを「かわいらしい」と錯覚させる。これこそが衝撃の理由。かわいらしい、だけで彼女の作品に対峙すると、テーマの深さに自分自身に愕然とする。そのきわめつけが次の作品。
「残りもの(家族Ⅱ)」。なんかかわいい♪、、、という目線ではこの作品にやられてしまう。それぞれのパーツをよく見てもらうと、まずメインの3体は中身を取り出され、抜け殻となったぬいぐるみ。その周りにはたくさんのぬいぐるみが目、鼻、しっぽ、脚等をばらばらにされてぶらさがっている。ぬいぐるみは子供のころには大事にされ、まるで家族の一員のように扱われているけれど、やがて大人になる頃には飽きられ、忘れ去られ、捨てられてしまう。作品中央には百獣の王ライオンがまるで一家の主のように存在するが、それは既に抜け殻となっており、これは同時に人間の家族のあり方をも表現している。深い、、、。
あぁ。思い出すだけでどっと疲れる、、、。意思の強い作品は見た後疲れるよねぇ。他にも数々の作品があり、2005年のベネチアビエンナーレで金獅子を獲った「CASINO」という作品もよかったんだけど、またそれは次回に。いやぁ、とにかく久しぶりにがっつり時を忘れたひとときでありました。
「アネット・メサジェー聖と俗の使者たち」 今回の個展のカタログ。
「The messagers/The Messengers」 洋書。メサジェの現在までの作品を網羅。
Messengers」。彼女の名前、Messager(メサジェ)はフランス語でメッセンジャー=メッセージをもらたす人、を意味することからつけられたんだそう。なんでこんな変な邦題をつけるかね?
「アネット・メサジェー聖と俗の使者たち」 森美術館 11月3日まで